つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

わたし、定時で帰ります。第10話(最終話)感想〜逃げ恥のやりがい搾取とわた定の「働くことが好き」〜

 

主観による評価

第10話 ★★☆☆☆

働き方と現代的多様性 ★★★★★

種田晃太郎 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

全体 ★★★★☆

 

いいドラマだった。

 

定時で帰れる計画性と優秀さ、そしてそれで攻撃せず自分の考えを押し付けることはしない器の大きさと多様性の受容力、だからと言って自分の考えを曲げずに周囲と協力できる柔軟さ、そして周囲に頼られ力を貸してもらえる共感力を持ち合わせた主人公。

でも、逆に言えば結衣ちゃんにはそれしかなかった。

特殊技能もない。問題のとんでもない解決策を思いつくわけではない。世間に何かを投げかけるわけでもない。

自分の部署の雰囲気を少しだけ変えて、プライベートでは彼氏と別れた。そんな普通の女性。

 

朝ドラヒロインは、何かを成し遂げるような人が多い。

その中で、「ひよっこ」のみね子について、「特別なことを達成したわけじゃないけれど、ただ働くことが好きで、一生懸命生きている、どこにでもいる女性」のように評価していた人を思い出す。

世の中の女性は、こういう人が9割だと思う。

そして、結衣ちゃんもこういう女性だった。

YouTuberでもない、女性の権利を守る運動をするほどのモチベーションはない、男並みにバリバリ働かない、貧乏から這い上がって大金持ちになったわけでもない。本当はそんな人ばかりだ。

ドラマにならない、ドラマチックな出来事もそんなに起こらない、もしかしたらテレビの前にいる「あなた」かもしれない一般人を主人公にしていた。

 

でも、そんな、普通でありきたりで、電車で隣に座っている女性が送っているかもしれない人生が、こんなにも色あざやかで面白いドラマになった。

何より、無理のない働き方をする吉高由里子にぴったりで、本当に良かった。

 

また、原作読者によると、巧がの性格がマイルドになっているなど、それぞれの登場人物の性格描写が上方修正されていたらしい。

そのおかげで、「働き方」パートに集中できた。最初からクズすぎる彼氏だと軸がぶれるから。

そういう改変の「ドラマ用の」ちょうどよさも、功を奏したのかもしれない。

 

本当に3ヶ月間楽しかった!

 

以下、めちゃくちゃ太字多いのでご了承ください。

 

 

やりがい搾取と多様性

何のために働くか・どんな働き方をするかは個人の自由ということ、だけど身体を壊すような働き方だけはダメということが描かれていて本当に良かった。

仕事よりプライベートが大切な人間を良いものとし、仕事人間を悪いものとする結末じゃなくて良かった。

働き方改革多様な働き方を受け入れられる「世間」へ舵を切るようなドラマだった。

 

ツイッターでは、

「こんなこと言われた」→労基に言え!

「こんなことされた」→やめろ!

「最近の子はやりがい重視しない」→金のために決まってるだろ!

という風潮が強い気がする。でも、現実では、そんなに極端に物事が進むわけではない。

腹立つことは言われるが、やりたくないことはやらない、では給料をもらう人間にはなれないと思う。(この場合の「やりたくないこと」は、倫理的におかしいことではなく単純に自分の感情で面倒くさいと思うことを指す。)

私も、上司に指示されてそんなに言うなら最初から自分でやれやと思うことがめちゃくちゃある。やりたくないなあ、だりいなあと思うことを指示されることもある。

でも、自分で何かを生み出し続ける苦しみのあるフリーランスではなく、指示に従っていればある程度の給料を得られる会社勤めを選ぶからには、我慢しなければならないとも思っている。

 

そして個人的な話で言えば、私はやりがいも重要だと思う。

記事を書いていて思ったのは、逃げ恥から「やりがい搾取」という言葉だけが一人歩きしてしまったのでは?ということ。

ドラマの「逃げるは恥だが役に立つ」において、やりがい「があればいいだろう」と押し付けられることをやりがい「搾取」と表現していた。

やりがいを対価にしなければ、正当な報酬があれば「搾取」ではないはずなのに、いつの間にか「やりがいのために働く人は搾取されている」と思い込む人が出てきた。

「やりがいさえあればいい」だけでは確かに搾取とも言えるかもしれないが、ある程度の報酬が約束され残業を強要されない会社、最低限のラインさえ超えていればやりがいを大切にするのも本当は個人の自由だ。

このドラマは、やりがいのために働く人も肯定した。

(意思を尊重することこそが大切なのであって、逃げ恥だってやりがいで働く人を否定したわけではないはず。)

多分、やりがいを持って働かない人にはわからない。逆に、やりがいを持って働く人にはやりがいのない人のことがわからない。

このドラマの目的は、自分では納得できない価値観の人とも共存してゆけること、自分とは相容れない考え方を否定・排除しないこと、そういう働き方ができる人を増やすことだったのではないか。

実際、結衣ちゃんも種田さんと働けるけれど種田さんの働き方自体は最後まで理解できなかった。

多様な価値観が1箇所に集まること。それが会社で働くことなんだと思う。

一見悪者のような福永も、本人の正義で、本人の理屈で働いている。

一歩間違えてパワハラ上司になってしまったけれど、行動は間違っていても思考自体は必ずしも間違いではなかった。そういう描き方がされていることが面白かった。

 

ツイッターで感想を見ていて、「私仕事好きなんだなと気づけた」と言っている人がいて、このドラマの求めた変化がこれなんじゃないだろうかと思った。

酷使や社畜を賛美しているわけではなく、仕事が好きで働くことと定時で帰ることは両立できるし、「それはやりがい搾取だ」と他人が断じることはできない。

内心のやりがいは誰にも否定できない。

 

また、これを社会全体に広げず、結衣ちゃんと結衣ちゃんの周りの人の問題にとどめたのも良かった。

こういう小さな動きが少しずつ社会で起きれば、もしかしたら大きな変化になるのかもしれないと感じさせた。

押し付けがましくない、みんなのやり方を尊重するドラマ。

これがドラマにする必要がないくらい当たり前になるといいね。

 

 

一緒にいる「努力」と「無理」は別物

↑とりあえずこれだけ念頭に置いておいて以下を読んでほしい。

 

 

①とりあえず種田晃太郎

いやもうずりーわ!好きだわ!!こんなん好きだわ!!!オンナこんなん好き!!!!!!(特大主語)


以下、実況中の種田×結衣萌え。

 

 

②-1中断された本来の放送日直後の巧と結衣

あの頃種田さんが自分のために仕事忙しくしていたと知っても、揺らがず、泣くほど巧くんと別れたくなかったなんて、本当に我々が思うよりも結衣ちゃんは巧くんのこと好きだったんだよな。

私たちの知らない2人の時間があったのに、種田さんのことばかり勧めてはいけなかったな…。

主人公が悪くないままで婚約破棄にする方法がこれだったんだろうな。

仕事が大切で恋人を放置する、一昔前なら間違いなく男女が逆だったんだろう。

それが入れ替わることもある。女性も仕事が好きで働き続ける。そういう社会になったんだなあ。

 

 

②-2通しで最終回を見た直後の巧と結衣

最初っから当て馬じゃん!種田さんがずーっと心に棲みついてたんじゃん!

 

働き方改革、多様な価値観、そういうものを丁寧に描いてきたのに、恋愛的な別れにおいてのみ「価値観が違うから別れよう」ではなく「(価値観の違いによる不安がきっかけだったとは言え)相手の浮気が原因」にしたのは、浮気が結衣ちゃんを悪者にしないための装置だったとしか思えない。

誤解されそうだが、私は結衣ちゃんが悪いと言っているのではない。

人は自分の幸せを優先に動く権利がある。結衣ちゃんは自分がともに歩む人を利己的に選んで良い。どれだけでもズルくなって良い。「ズルい女」で何が悪い。心変わりの何が悪い。自分の幸せのためなんだから誰にも文句は言わせない。

こういう別れと復縁も現実だと思う。

ただ、最先端のドラマだったからこそ、"働き方パート"で、誰の価値観も悪くないから否定せず共存しようという価値観に重きを置いた終わり方をしたように、"恋愛パート"でも価値観に重きを置いて、どちらも悪くないけれど価値観が決定的に噛み合わなかったから別れに至ったという終わり方にできたんじゃないかと思っている。

9話までの丁寧さなら、巧を下げなくても種田さんルートを王道にできたはずなのに。

それが、制作側の種田への思い入れによるものかはわからない。原作でそもそも浮気しているため、原作に則っただけなのかもしれない。

でもあらゆる要素を原作から上手くドラマに落とし込んでいるようだったから、小説より一度に多くの人に届けられるドラマという媒体を選んだからには価値観に関する一貫したメッセージを持つように改変しても良かったのでは、と思う。もう完全に個人的願望だが。

1人の人が、自分が共に歩むパートナーを決めるのも人生には大切だと思って見ていたから、格好良くて主人公のことが大好きな種田さんと、その対抗馬は勝ち目のない浮気男にして、これまでの丁寧な描写など関係なかったかなような雑な終わり方になったのが残念だった。

選んだというより、浮気で一方が消えて復縁しやすくなっただけだ。

結衣ちゃんは選んでなんかいない。選択肢が消えただけだ。

(まあ、いずれにせよ結衣ちゃんはまだ種田さんが好きだったわけだが。)

私としては、"働き方"パートも"人間関係"パート(恋愛に限らず)も、これからの時代の現実的解決を見事に描いてくれると9話まで信じていたからこそ、「種田さんさえあればいいんだろ?」と思われていたなら悲しい。

 

巧が浮気をしていなかったら、結衣ちゃんは結局元々心の中にはずっと種田さんがいたのに巧と付き合って自分の心の逃避に利用しただけのめちゃくちゃひどい女だったんじゃないのか。

種田さんのこと忘れられないのに、私が好きなのは巧だよと言って、種田さんとする仕事を大切にしてすれ違って、最初から当て馬にならざるを得ない程度の立ち位置しか得られなかった、ただの「愛されなかった・選ばれなかった普通の人」に過ぎないのに、浮気という役割を与えられて、悪者になった。

結衣ちゃんのずるさを上手いこと誤魔化して純愛にしているように思った。

 

あと、原作は別として、ドラマの巧は浮気をしていないのではないか…とも思う。

ドラマの描写だと、「浮気と嘘をついた」とも取れる。気がする。結衣ちゃんを見送る背中とか。

賤ヶ岳先輩も、「あんなに優しい人はいない」と言っている。

「原作では浮気しているからドラマでも描写がなかっただけで浮気をしている」とは限らないと思う。

もちろん、本当に肉体関係を持ったかもしれないが。

しかし時間の都合かもしれないが、浮気という自己申告だけで鵜呑みにしてあっさり引き下がる様子を見ると、本当に当て馬に過ぎなかったんだなという思いも生まれるし、結衣ちゃんも「本当に浮気したの?何したの?どこまでしたの?」と縋り付くほど好きではなかったということなのか…と悲しくなった。

代わりにするつもりはなかっただろうけど、結局種田さんから逃げて心の隙間を埋めていただけだと思うと、これまでの2人の確かな愛情の描写はなんだったのだろうか…。

そういえば、巧のことが好きと言いつつ、結衣ちゃんが巧にしてあげたことが「合わせること」以外あまり見えなかった。多分見えないところで沢山あったんだろうけど。

その一方で種田さんのために動く結衣ちゃんを見て、心に言い聞かせてきただけで、体が動くのは種田さんのためだったということを理解した。体は正直だな…。

 

中丸くんに浮気の詳細の描写をさせられなかった都合かもしれないが、今時ジャニーズとはいえそんなことある?

むしろ、そこ(原作)までは悪者にできなかったという制作側の慈悲だろうか。

原作に則って悪者にするしかなかったけれど、目の前で浮気という絶対悪にするのはかわいそうだったから、自己申告(嘘という解釈の余地あり)にした。ここが改変の限界ラインだったのかもしれない。

 

改変の限界ラインを狙った結果、巧がクズになりきれなかった(クズ描写が原作より甘くなった)からこんなにモヤモヤしているんだろう。

種田さんとの恋の成就のための邪魔者だ!良いとこなんかない!と完全なる種田派に切り替えていたほうが楽だったとさえ思う。種田さんだけを楽しみにできていたなら。

だから、いっそ原作通りの浮気バレしてくれたほうがすっきりしたかもしれない。

それでも多分「浮気という一発レッドカードにするのは結衣ちゃんを悪者にせず種田さんに行かせるためだった」って言うのだろう。私は。

価値観の違い、一緒にいたいと思うのは種田さん!としても良かったはずなのに、なんでこんな(私がモヤモヤする)方法にしたのか。

 

まあ、浮気が嘘だとしてももう2人は無理だったとは思う。

どんな夫婦・恋人でも、なんの努力もせず快適に過ごせることはないだろう。でもそれは無理をすることとは違う。

「努力できる気質を持つ人」が人と生きてゆけるのであって、「相手に合わせて無理をする気質の人」は、無理せずに済む人を探すか1人でいるしかない。

個人的には、巧と結衣も努力のできる人で、無理をせずとも一緒に生きられたと思う。でもスタートを間違えた。

最初から無理をしていたら、無理を辞めるタイミングは無くなる。

「僕は種田さんみたいにはならないぞ」と無理をした時点で、いつか破綻することは決まっていたんだろう。

 

それでも、巧にもいいところはあった。

賤ヶ岳先輩のお宅にご飯を作りに来てくれて、結衣ちゃんが大変でもご飯を作ってくれる。当然のことを当然してくれる。それが無理をしていたとしても。

だから、あんなに雑に退場させられたことが悲しかった。

 

以下、グズグズツイート。

それでも悲しかったんや!

だって、価値観の違いが原因じゃないということは、浮気されなかったらこのまま結婚していたという意味でしょう。で、浮気なしに別れようとしたら結衣ちゃんが悪者になるしかなかったでしょう。

 

↑私のクソ長い主張をめちゃくちゃ端的に表しているツイート。

 

 

描写の偏りへの文句

制作側が種田さん好きなのもわかる、制作側が種田さんの人気を把握していることもわかっている。

それにしてもこの「種田さん」と「それ以外」の描写の差はなんだ。

 

巧だけではない。

特に気になったのは、差し入れをしたのに目も向けてもらえなかった、種田さんに憧れを抱く来栖へのフォロー。

恋愛としては最高のシュートを決めたが、仕事に夢中になって見失っていたのは結衣ちゃんだけじゃなく制作4部全員への「気持ち」のはず。

視聴者に見えないところでフォローはしていたんだろうけど、いやドラマなんだから見せろや。察させるなや。

仕事に復帰した賤ヶ岳先輩のその後は?どうなったの?描かなくてもうまくいったってわかるよねとでも言いたいのだろうか。

視聴者が気にしていたのが2人の恋の行方だけだと思っているのか?

(そういう人が多かったことは否定しない!否定はしないが!)

 

最初から当て馬ですよ〜!って、制作側がやるのはモヤモヤする…。もちろん既定路線だったことはわかるけど。

せめて表面上だけでもどちらにも力を注いでいるように見せて欲しかった。結衣の恋の行方は!?という恋愛の要素を盛り上げたのは制作側なのだから。

恋愛要素が人生の一部で、公式側も恋愛に言及していないなら種田さんを贔屓していても全然構わなかったけれど、「どちらを選ぶのか!?」要素を入れるなら公式の肩入れする側を察せてしまうレベルのツイートはやめてほしい。せめて拮抗した描写にしてほしい、贔屓がバレバレである。

ニセコイかお前は。(ニセコイへの憎しみが深いオタク)

 

種田さんと福永の関係だって、あれで終わりじゃないだろう。彼らは共依存だったのだから。

2人には信頼関係が確かにあった。

お互いのことを理解していた。

それが、「時間をかけて距離ができて関係性が薄まった」ならまだしも、「あの瞬間直接断ち切った」のなら、その後の気まずい空気や業務への支障があったのではないか。

この2人の関係、これで終わり!清算で終わったので驚いた。

9話かけて描かれてきた2人の関係が、本当にこの会話ですっきり終わるのか。

個人的にはここにももう少し時間をかけて欲しかった。福永の独白があまりにも良かったことも相まって。

 

以下、グズグズツイート。

種田さんとのシーンの時間が限られているからかもしれないけど、別れをちゃんと描いてくれないと、私は心置きなく種田さんに萌えられなかった…。いや萌えたが。

 

 

あと1話欲しかった

結局のところ、これに尽きる。

あと1話あれば、巧を思って泣いた結衣ちゃんと種田さんからの半プロポーズにウキウキで「前向きに検討します」と返す結衣ちゃんが同じ回に収まらずに済んだ。

半年後とは言え、ちょっとキツかった。

(結衣ちゃんが、すぐに飛びつかなかったのは救いだった。)

巧との別れに関しても、あの自己申告だけで浮気を鵜呑みにして、「わかった浮気したんだね」となるだろうか。婚約しているのに?泣くほど好きなのに?

尺の都合でとてもスピーディー、悪く言えば雑だった。

泣くほど好きなら「本当に浮気したの?」くらい聞くだろうし、あと1話あればその辺りも話し合いで進められた(結果別れただろうけど)のではないか。

泣くほど好きだったらしい結衣ちゃんの気持ちを時間の都合で短く終わらせたせいでさっぱりしすぎていて、今までの「現実的」な感情が、急に「別れ」のシーンだけフィクションで現実離れしてしまったように感じた。

ダメなところもあったけれど、結衣と巧もなんだかんだ長く一緒にいたのに、別れの描写も落ち込む描写も少なかった。それがあと1話あれば長くできたんじゃないか。

1話では足りなかったから、元彼のシーン、同僚の後日談を大幅にカットしてなんとかしたという雰囲気が漂ったのはもったいなかった。

働き方改革のお話だから、恋愛はこんなもんでしょ」と考えていたのなら9話まであんなに丁寧にやらないと思うから。

 

誤解しないでほしいのは、これはクソドラマというわけではない。

単純に、9話までが丁寧で最高すぎたからこそ、最終回だけ(種田さんのシーンを除くと)肩透かし感が強かったというだけのことである。

 

 

実況中のツイート

ここから再放送

ここから初見シーン

 

余談も余談だが、公式タグを見ていたら「巧派の中丸ファンが過激で怖い」と言っている人を1人だけ見つけた。

私の観測範囲では「ゆっちだから巧応援してたけど種田さんも魅力的だもんね…」「ゆっちのシーン少なかった」程度だった。

「最初から別れろと思っていたから別れて嬉しい」「20万の部屋契約するし親は距離なしだしいいとこなかったから別れて正解」(いいところ1つもなかったということはないと思うが…)「別れてくれてありがとう。当て馬になってくれてありがとう。」「巧は優しくないけど種田さんは優しい」「巧にイライラしながら復縁願ってたから最高のエンド」と言う一部の種田派の方がよほど怖かったが、マジョリティかつ恋の勝者だとスルーされてしまうんだろうな。