つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

凪のお暇第3話感想〜凪いだ風のようなお暇の男の人〜

主観による評価

★★★☆☆

 

pixivだったら「おいエンドロールちょっとどけ」「エンドロオオオオオル!!!!」「続きを全裸待機」ってタグがつく終わり方。

中村倫也の…肌…背中…肌…おでこ…キス…(嘆息)

 

今回特に思ったのは、凪と慎二はよく似ているということ。

どちらも内心は臆病でいつも怯えて震えている。それを隠して仮面をつけてうまく立ち回れるのが慎二で、仮面をつけたのに言葉がうまく出てこないのが凪だったというだけだ。慎二は仮面をつければ自分から喋ることができるけれど、凪は誰かの言葉に返事をするしかなかった。苦しくても生きていける慎二と苦しくて生きていけない凪の違いはそこだろう。慎二は、自分から喋ることができるから場をコントロールできるだけだ。

本当はすごく似ている。でも、恋愛の難しいところは、多分似ていれば合うというわけでもなく、似ていなくても一緒に居られることもあるというところだろう。

2人がたまたま、似ていてもただ互いを傷つけるしかなかっただけだ。

そして、凪は変わりたいと思った。慎二は変わるつもりはなく、凪にも変わって欲しくないと思った。それが決定的に溝になっている。

 

あと、慎二がバーで本音を話すシーンは絶妙だなあ。

素直になれないことに愛おしさを感じる瞬間もある。でも、結局素直になれないというのは、保身に走っている言い訳にすぎない。

高橋一生の演技は確かに愛おしいのに、他のシーンを見るとやはり許してはいけないのだと思い直す。「心の中でどんなに殊勝なことを考えていても伝わらなければ意味がない」というツイートを見たが、その通りだと思う。

このギャップと絶妙なライン。高橋一生、本当に良い。(毎話言うのか?)バーでは確かに本音を話しているのに、黒木華とのシーンでは冷たい。

「役者としての高橋一生がめちゃくちゃ良い」のと、「我聞慎二役には高橋一生しかいなかった」のと、2つの意味で良い。

偶然にも高橋一生、笑うとシワが増える。これがとても良い。原作には当然ない。でも、強く笑うとシワが増え、弱いとシワが出ないのは、見た目で笑いの度合いがわかるけれど全ての役者に真似できることではないだろうから。

 

友達が振られていたから凪を紹介できなかった(第2話)というのは、説明がなければただ傷つけただけで、フォローできることではない。

でも、凪は被害者に見えるけれど、結構気が強くて、多分凪が傷つけてきた人もいるだろう。言葉にしない分、むしろ、心の中でバカにしてきた人たちはかなりいるかもしれない。

慎二が自分に都合のいい凪を好きだったように、凪も慎二を都合よく利用していただけだった。

普段隠していた分、研ぎ澄まされた刃があまりにも鋭かった。慎二もお暇いただいていいと思う。

 

しかし3話まで見てもやはりこのドラマは「凪のお暇の実写化」ではなく「人に合わせることに疲れた女と、癒す男と、追い詰める男のドラマ」だと感じる。

本当に、本当に上手に「実写でやる意味」を体現している…。すごいドラマだと思う。

あのヤフコメでさえべた褒めである。

演技と脚本は、外見の不一致(原作の髪型や絵柄の顔のイメージ)をチャラにする。ドラマの面白さはやはりキャストの顔や知名度ではないんだと痛感した。この人が出ていれば視聴率がいいなんて時代ではない。

今回は、足立さんにクリティカルヒットを食らわせるシーンにボクシングの比喩が使われていて、特に実写の巧さを感じた。

第1話と第2話で、特に慎二のモラハラ発言のシーンで、エッセイテイストの絵柄で中和されているけれども実写になるとえげつない(リアルすぎる、そうか現実でも起こりうるんだと気付かされる)なと思っていたんだけれど、このシーンは逆だった。

原作のように面と向かって言うとキツすぎる。それが、ボクシングになると、どこかコミカルで、でも「ダメージを与えたこと」が視覚できちんと理解できる。

そういう意味でも、原作通りではなくとも原作を間違いなくリスペクトしているドラマだと思う。原作を読んで、一度解体して、再構築しているから、漫画だからできることとドラマだからできることを分けることができる。漫画とドラマの違いをよく理解した上で、漫画を無理に再現するのではなくドラマを使うならどのように使うべきかを判断している。

必ずしも原作通りにする必要はないんだとよくわかるシーンだった。

 

 

 

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