つちや(仮)

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アライブ がん専門医のカルテ第11話(最終話)あらすじネタバレ感想〜スーパーマンにはなれないけど、君の生きがいになりたい〜

前回の感想

 

 

 

第11話あらすじ

  • 梶山の再発は骨転移で脊椎に起きており、切除は困難。梶山自身は仕事が自分の一部だから外科医を続けながら治療したいが、長時間のオペは厳しそう。阿久津は生きがいは何よりの回復薬になるからとその方針で決定する
  • 阿久津は恩田に国立がん治療センターに行くかを確認する。学んだら戻ってきてほしいけど一度巣立つべきだと。それでも恩田は梶山のことが引っかかり決意できない
  • 抗癌剤治療で隣のブースになった佐倉に、再発を明かす梶山。職場に話したのか聞かれ、隠したら仕事ができないと言う梶山。佐倉も先日やっと会社に告げて、言って良かったと思ったらしい。佐倉が一番よかったと思える方法で過ごせばいいと言う梶山。現在ノットアローンの編集手伝いをしている佐倉は取材させてほしいと頼む
  • 患者の橘は、抗癌剤が効いて、オペで切除できるようになった。説明する恩田に梶山が合流すると、橘は化学療法室にいたことを指摘する。梶山が自分も治療中だが仕事も続けていると話すと、治療しながら仕事を続けることは素敵だと嬉しそうな橘。オペ担当を断られずほっとする梶山。しかし、来月頭がオペだと伝えると、遅らせてほしいと頼まれる(できれば早いほうがいい状況)
  • 髪が抜け始めたことに気づき、梶山は病院内の売店でバリカンを購入し、髪の毛を全て剃る。帽子を被りスカーフを巻いてカンファレンスで話す姿に、光野は「かっこいい」と感じる
  • 梶山は、化学療法室で橘娘を見つける。結婚式に出たくて手術を遅らせると言う母親を心配する娘を見て梶山が優しいと褒めると、離婚してから行事に一度も参加できなかったから結婚式だけは予定通りに行わせてあげたいと言う橘。日程変更に同意する梶山
  • 娘は、結婚式などどうでもいいから恩田に手術を遅らせないよう頼む。恩田は、抗癌剤治療をワンサイクル追加すれば遅らせるリスクは軽減できると言うが、軽減よりも助かるほうが大事だしそもそも体調不良の梶山でいいのかと不安を爆発させる娘。高い技術を持っているから適任だと考えを伝える恩田
  • 梶山はオペに前向きだが、白血球数が戻らない。橘は、娘は心配性だが、病気でも仕事を続ける梶山に頼みたいと言うが、恩田は結局今回のオペを降りるよう梶山に頼む。言いにくいことを言わせてごめんと謝るが、寂しそうにオペの準備を片付ける梶山
  • セカンドバースデーの花を捨てようとする恩田に義父は何があったか尋ねる。大切な人の生きがいを奪ったと答える恩田。レンが生きがいの意味を尋ねると、義父は「私にとってのレンだよ。自分が幸せだと実感させてくれる大切な存在のこと」と話す。恩田はそれを奪ったことを改めて感じる
  • 娘は手術中、母の病室を掃除し、ドレスを決めた日の写真を大切にしているのを見つけて涙する。恩田が入室すると、結婚式はとっくに破談になっていたのに、結婚式を生きがいにしている母に言い出せなかったと打ち明ける。オペが終わり、眠る母を見て安心し、梶山にもお礼を伝えるよう頼む
  • 橘のオペを映像で見ながら自分の手を動かす梶山だったが、恩田が消化器外科に礼を伝えに訪れると床に倒れていた。右手が動かない。緊急オペ後、眠る梶山を撫でる恩田。部屋を去ると、起きていた梶山は涙を流し、恩田も廊下で1人涙する
  • 梶山の症状についてのカンファレンスで報告する恩田。再発後の薬の効果が乏しかったらしい。梶山は、左手でスマホを触る。須藤からの電話は無視。ノットアローンの梶山の取材記事を読む夏樹。研修医たちも今後を決める時期がきていた。2人とも第一志望と迷うとは思っていなかった。腫瘍内科では、病気だけじゃなく患者をみている実感が持てた
  • 消化器外科を訪れる梶山。上司は、情熱も腕の良さも理解しているが、体を一番に考え他の(手を使わない)科で働くのも一つの道だと言う。病室で1人悩む梶山が須藤に電話をかけようとすると恩田と結城がリハビリの道具を渡す。不安に思っていることを悟られないよう元気に振る舞う梶山。それを見て、梶山の治療に向き合いたいからやはり国立がん医療センターには行けないと阿久津に告げる。もう一度待ってもらえないか頼むから結論を急がないでと頼む阿久津。一方梶山は、他の医者から、恩田が異動を蹴ったことを聞かされる
  • 橘の退院前日。娘の嘘につき合わせたことを謝る。優しい嘘だと恩田は言うが、破談を知ったときは自分のせいで娘の幸せを壊したのではとショックだった橘。でも梶山が毎日車椅子で顔を出してくれて救われた。梶山と出会い病気でも人助けできると考え、春から介護の仕事に戻るらしい
  • 梶山の病室を訪れ、橘のことを感謝する恩田。明日予定通り退院だと伝えると、梶山は泣き始める。「どうしよう、私いま、嬉しいじゃなくて羨ましいと思っちゃった」と言う梶山に、仕方ないと慰める恩田。今だけでいいからそばにいてと言う梶山に、大丈夫と答える恩田
  • ノットアローンを読んで連絡がつかなかった須藤が病院を訪問する。恩田は会えるか梶山に尋ねるが、会わないと答える梶山。あくまで心配する須藤に、恩田は梶山のリハビリ場所と時間を伝える。外から覗くと、苦しい中でも外科結びでリハビリし、入院中の子供たちと楽しそうに交流している梶山。泣きそうな顔で、声をかけずに去る須藤
  • レンと義父が美味しそうなお重を持って梶山のお見舞いに来る。義父は、恩田にとって梶山が特別で梶山がいたから辛い時期を乗り越えられたとお礼を言い、梶山は嬉しそうに涙する。一方国立がん医療センターではいますぐ人手が欲しいからもう待てないと言われ、この病院も居心地がいいからいいですと返す恩田
  • 屋上に恩田を呼び出す梶山。言い出しにくそうな梶山を見て、車椅子を押しながら話す。梶山のために断ったのか聞かれ、違うと答える恩田。梶山は、断ったと聞いたときは嬉しかったが、今は焦らず自分の体と向き合う覚悟ができたから遠慮しないよう頼む。恩田は、梶山の治療が落ち着くまで待ってと頭を下げて、行くことにしたと話す。いつか、がん患者のために、梶山のために新薬を開発したいと言う恩田
  • 春、夏樹は腫瘍内科で診察、結城は外科。ノットアローンの取材をする佐倉のカバンにはスカーフ。取材後結城と待ち合わせた佐倉は、もう消化器外科の医者なら私は患者じゃないよねと確認。結城は「うん」と微笑み手を差し伸べ、2人で手を繋いで歩く。阿久津は恩田が秋から行けるよう頼む。頭を下げていたのは阿久津だった。義父はテレビ局で新たな脚本の構想を語る
  • 3年後、国立がん医療センターでキビキビ働く恩田。講演も行う

2人に1人ががんになる時代、いつ誰がなってもおかしくない。その日はある日突然やってくるかもしれません。

しかし、がんになったからといって人生を諦める必要はありません。医療は日々進歩しています。あなたにとって最善の治療を選択することでこれまで通りの日常生活を送ることができます。

好きなことも続けられる。あなたらしく生きられる。

がんは、共存できる病気なんです。

  • 梶山は横浜みなとで手術に復帰。恩田が梶山のMRIを確認するとガンが消えている。横浜みなとへ急ぐ恩田。屋上では帽子とスカーフを見に纏った梶山が待っていた。道中購入した大きな花束を抱えて梶山のもとへ急ぐ恩田。セカンドバースデーに渡せなかった花と同じ緑と白の花束だった

 

 

 

あらすじをまとめて考えたこと

  • 梶山が、明日退院する立花を嬉しいじゃなく羨ましいと感じて泣くシーンは、佐倉が「胸がなくなるより人の幸せを祝えなくなる方が辛い」と言ったシーンを思い出した。もちろん羨ましいけど、そんな考えになってしまう自分が浅ましいと責めてしまうんだな。
  • 命があっても生きがいがなければ死んだのと同じなんだろうな梶山先生は。

 

 

 

主観による評価

★★★★★

 

間違いなく、私の中では今期ナンバーワンだった。

人を描く医療ドラマ。

 

視聴率という数字自体は確かに良くなかったと思う。

気持ちはわかる。あまりにも重くて、直視したくない人もいるだろう。そして、重いテーマのドラマは基本的に途中から伸びることがない。

それでも、がんとの共存を生々しく描くことを諦めない姿勢は、愚直で真面目で、伝えたいメッセージを必ず伝えるという意志を感じさせた。

 

どんな人でも、「病だからと諦めず、共存して望みを叶える」というストレートなメッセージを、まっすぐ描いた真面目すぎるドラマ。

だからこそ、暗すぎと言われたり重すぎと言われたり、元気がないと見られないドラマになった。

「恋はつづくよどこまでも」くらい、あざとく生きるずるさがあればもっと話題になったかもしれないが、どこも力を抜けない生真面目さが好きだった。

いずれにせよ、大盛り上がりになる予定はなかったんじゃないかとも思う。

 

今回、丁寧さと真摯さが特に光ったのは梶山と恩田が深呼吸をするシーンだと思う。

呼吸の音だけが響き、空が映る。多分挿入しなくてもいいシーン。

でもあのシーンこそが、2人別々に歩む未来への第一歩を象徴していた。

テンポのいいドラマも面白いけれど、余裕を持って、無駄を描けるドラマって素敵だなと感じた。

 

何一つ無駄なエピソードがなく、美しくまとまった全11話。

「女性同士のバディか」と初回見るのを迷っていたが、あの日見た自分は正しかった。

 

見てよかった。

3ヶ月間ありがとう。

描く手を抜かなかったフジテレビ、本当にありがとう。

 

 

 

スーパーヒーローと伴走者

前回、結城の母に梶山が言った言葉「横浜みなとにスーパー外科医はいない」。

最後にテレビ局と打ち合わせをする義父の姿を見てこの言葉を思い出した。

人を救うのはスーパーヒーローじゃない。

恩田先生は、進行が早い人を救う特効薬を知らないし、誰でも助ける神様じゃない。

梶山先生だって、腕はいいけれど、切除できないものがたくさんある。

恩田先生も梶山先生も、勉強して、手を動かす練習をして、普通の女性として失敗したり後悔したりしながら、それでも目の前の患者に寄り添う。

その寄り添う姿勢は、スーパーヒーローじゃなく伴走者だ。

一方的に救う存在ではなく、患者が病気と向き合うときに側にいるだけ。

 

私たちは、多分勝手に、医師にスーパーヒーローであることを期待している。

パッと見ただけで何の病気なのか判断でき、完治させる薬を出してくれる存在のように思ってしまっている。

でも本当は私たちが治るまでの道筋で隣にいてくれる人にすぎないんだと思えた。

 

 

 

梶山と恩田

梶山と恩田も、互いを伴走者だと思っていると思う。

でもそれ以上に、梶山にとって恩田そのものが、恩田にとって梶山そのものが生きがいになっていた。

だから、国立がん医療センターに行った方が恩田のためになると理解しつつ、梶山は自分のそばにいるよう頼んだ。

あの瞬間の梶山の中に、愛するなら相手の望む道に進ませるなどという綺麗事は存在しなかった。

自分のエゴで、留まるように頼んだ。

自分の心を支えるために今ここを選んでほしいというわがままだった。

また恩田も、梶山を放置しては行けなかった。それは多分梶山のためというより、自分が離れてはいられなかったからだと思う。

離れて仕舞えば、そばにいれば良かったと思うだろう。

 

一方、京太郎は、生きがいとは自分が幸せだと実感させてくれる存在のことだと言った。

その定義に従えば、梶山にとっても恩田にとってもお互いが生きがいである。

それだけだと共依存に近かっただろう。

でもお互いがいれば十分というわけではなく、2人とも、仕事もまた生きがいであり、自分を表現する大事な要素だと理解している。

お互いだけが生きがいなら、多分離れて生きることはできない。

でも、2人は心に依存先を二つ抱えているから離れても大丈夫。

自立は、依存先を分散させることだから、2人は他の誰かでは替えの利かないポジションにお互いを座らせながら、自分のやりたいことを叶える道に邁進できる。

依存しながら実現も諦めない、新しい「両立する女性」を生き生き描いたドラマだったと思う。

 

真面目な言葉で語ったけど最後だけいい?

最後プロポーズやん。

特大級の「女と女の強い感情」だった…。

 

 

 

1番のメッセージ

第9話、民代さんが言ったこと。

がん患者だってやりたいことやっていい。欲しいもの欲しがったっていい。

これが、このドラマが一番言いたかったことなんだろうと思う。

 

生きているだけで十分?

がんにならなかった人は、そんなこと考えなくていいのに。

がんになっただけで、望むことさえ贅沢品になるの?

 

がんになった人と、ならなかった人、権利は同等。おんなじ人。

それなのに、がんになった人だけが、「がんになったから」という条件が付与されただけで、それをできなくなるの?

がんになっただけなのに。好きでなったわけじゃないのに。

 

生きる以上のことを望んではいけないと自分を縛ってはいけない。

可能かどうかは別として、海外旅行だって、ダイビングだって、「やりたい」と声に出していい。

分不相応な夢などない。「生きていただけラッキーだったと思わなくちゃ」なんてこともない。

それはもちろん、がんにならなかった人も同じだろう。

できないかもと考えて立ち止まるより、まず望む。叶えてはならない夢なんかこの世にはないから。

がんになった人も、ならなかった人も、時間が有限であることに変わりはない。

がんにならなかったから来年まで生きていられるわけでもない。明日交通事故で死ぬかもしれない。

がん患者も、がん患者じゃない人も、人生を送る途中であることに変わりはない。

 

最終話の恩田先生の講演は、このドラマ全体のメッセージを的確に伝えている。

2人に1人ががんになる時代。いつ誰がなってもおかしくない。その日はある日突然やってくるかもしれません。

しかし、がんになったからといって人生を諦める必要はありません。

医療は日々進歩しています。あなたにとって最善の治療を選択することで、これまで通りの日常生活を送ることができます。

好きなことも続けられる。あなたらしく生きられる。

がんは、共存できる病気なんです。

病気「だから」と諦める必要のあることなどない。なぜなら病気は自分の一部にできるから。

そして、これからきっと、もっと、それが進む。

がんはもっと共存できる病気になると信じたい。

 

 

 

医療ドラマと私

医療ドラマを見ると、必ず、

「いつ病気になってもおかしくないから日々を大切にしよう」

とか、

「いつこの人がいなくなるかわからないから大事にしよう」

とか、その場で考えていた。

このドラマでも、匠の死まではこれを一番のメッセージとして受け止めていた。

 

でも、最後まで見て気付かされたのは、「日々を大切にしよう」の前に、「病気になるまでは」と勝手につけていたことだった。

病気になるまでの日々を悔いなく生きることしか考えていなくて、病気になった後の自分のことなど想像もしていなかった。

病気になった後は、全く別の自分になり、今の延長線上にいないからこそ、望みも考えも何もかも一度リセットするようなつもりでいた。

でも、このドラマでは、病気になった私も「私」に変わりはなく、願うことも病気なんかに合わせて変えなくていいということを教えてくれたように思う。

負債を抱えた自分ではなく、病と共存する自分になる。

もちろん、理想論に過ぎないかもしれない。実際に痛みを味わったり同じことができなくなったりした時にこんな悠長に考えてはいられないだろう。

それでも、日々を大切にすることに、病気になる前もなった後も変わりはないということを理解できたのは、このドラマのおかげだと思う。

 

 

 

佐倉と結城

心配していた。

でもまさか結城の方から手を繋ぐレベルの情緒が結城の中で育っていたとは思わんかった〜!!!!

嬉しい。良かった。

 

倫理的な問題がなくなったとは言えない。多分本職の方から見たら疑問が残るんだろう。

でも、佐倉が、腫瘍内科にいるうちは良くないと思っていたのは、一時的な思慕ではなく今後もずっと伴走者でありたいと真剣に考えていたからだろうなと思うと、嬉しい。

職場にがんを伝えたくないと言っていた頃の彼女からは想像がつかないから。

きっと闘病を通して彼女の中で変化が起きたんだろう。

 

クランクアップの記事で、最後のシーンは2人の私服と書かれていたから、カラオケ行っておわりかな?と思ったらそれ以上に進展していた。

じわじわと近づく様子を見守っていたから、本当に嬉しい。

 

 

 

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