つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

MIU404第8話感想〜Lemon流れた気がする(幻聴)〜

前回の感想

 

 

 

主観による評価

★★★★★

誇張なしに、1番しんどい回だった。ずっと、しんどさのピークは成川と九重が再び対峙する回だと思っていたのに、まさか伊吹のたった一人の恩人がこんなことになるなんて。こんな…こんなことって…。

 

ガマさんにとっての伊吹

↑このツイートを見て、頭を殴られたような気持ちになった。自分にとってのあなたのような存在に、あなたの中の私はなれないって、めちゃくちゃキツくない?

ガマさんにとって、伊吹は「沢山の悪ガキの中の一人」にすぎず、伊吹がたまたま刑事になったからアドバイスを与えることもあったけれど、奥さんのような特別な「たった一人」には最後までなれなかった。

伊吹は多くの人の分岐点になってきた。それなのにたった一人の大切な人には分岐点としての役割を求められていなかった。この人の分岐点になりたいと思えるただ一人の人だったのに。

ガマさんの最後の伝言は、伊吹に罪悪感を抱かせないための言葉だと思うけれど、私はトドメだと感じた。お前は俺の人生にとってはその程度だって。 伊吹にとってはガマさんとの出会いがかけがえのない分岐点だったのに、伊吹との出会いはガマさんにとってのただの仕事の一環で、最後まで通過点以上のものになれなかったことがあまりにも悲しい。伊吹にとってキラキラ輝くキャッチボールの思い出は、ガマさんにとっては記憶の一つに過ぎず、キラキラした思い出ではなかった。

最後のガマさんの伝言を、優しいと考えるツイートが多かったけれど、私はそうは思えなかった。奥さんの死は、殺意のスイッチになったけど、伊吹の存在は、それを止めるスイッチにはならないという残酷な通達だと思う。お前は俺のスイッチャーになれないんだよと。でも、それは、だから俺を止められなかったことなんかもう忘れていいという優しさも隠されているかもしれないな。

(↑これ)

伊吹にできることは、本当に何もなかったのだ。

だから、凶器も残していた。少しでも疑われたら全てを曝け出すつもりで。そこまでの覚悟をしていた人に、伊吹の存在が影響を与えることなどできなかったのだ。

一度最後まで見てしまうと、ガマさんが怪しいと気づきながらはぐらかそうとする伊吹が、分岐点になれるはずだったのに会いに行けなかったという見当違いの方向で後悔する伊吹が、あまりにも見ていられない。

ガマさんが怪しいって、沢山の情報を受け取って、「感じて」はいたんだろうな。悲しい。それを自分の中に押し留めたことが悲しい。

 

追記:伊吹なら救ってくれそう?

第6話で、伊吹は常に「この人なら救ってくれそう」を背負わされていることについて書いた。第8話では、どんな人にとってもプラスのスイッチになれる人などいないということだけでなく、一番救いたい人「だけ」を救えないところが描かれた。

(↑このツイート言いたいこと纏まってる…。)

ラストシーンを見るまでは、誰か伊吹の心を救ってあげてほしいと思っていた。伊吹はたくさんの人の救いになった。志摩にとっても、ハムちゃんにとっても。じゃあ伊吹を救うのは誰なの?と。

他の誰かが傷ついた時、伊吹は隣で優しく寄り添って、声をかけてきた。でも一人の伊吹はどうするの?

でもそれは杞憂だった。

志摩が香坂の死で苦しんでいたのを、伊吹は全身で引き上げた。でも志摩は、手を差し伸べたら後は自分で立ち上がるとわかっていた。

それが力強くて、ガマさんのようになりたくてなった刑事という仕事だけど、今は伊吹オリジナルの、強く、誰かを許せる刑事になったんだと思わせてくれた。

そして、この「手を差し伸べる」という、伊吹のための行動が、志摩ためにもなっているというのがまた、深い演出だな…と思った。香坂に手を差し伸べられなかった志摩が今度は手を差し伸べられた。

伊吹にとっての救いの手は、志摩にとっても救いだった。二人はこうしてこれからも、救い・救われながら相棒を続けてほしい。

寄り添ってくれる人はいないけど、手を引っ張ってくれる人はいる。そのことをプラスにするかマイナスにするかもまた、伊吹自身の転がり方によるんだろうな。

志摩は伊吹を包み込む人にはなれないと思う。伊吹の中の「自分を信じてくれた大切な人」にはならない。志摩は伊吹を無条件に信じてはあげないから。

でも、ガマさんでもなれなかった、隣に立つ人にはなれる。それが相棒だと思った。

 

志摩と伊吹は本当に真逆なのか

番組紹介でも「性格が正反対のバディ」のように言われているけれど、今回、この二人は限りなく似ていると改めて思った。私にそう思わせたのは他ならぬ志摩の発言だった。

視聴者は勝手に、彼らを対比して考える。頭脳派で論理的な志摩、肉体派で直感的な伊吹。でも違っていた。志摩はとっくに、伊吹が直感で動いているだけのバカだなんて思っていなかったのだ。

言葉が足りなくて説明できないだけで、頭の中では論理的に組み立てられている。それは志摩と同じだ。そして志摩自身は受け取る情報量は自分より多いと、優れているところまで認めていた。

伊吹に落ち着いて話を聞かせるための導入とは言え、こんな風に評価しているのかと驚いたし、関係性の変化に感動もした。

二人は確かに相棒になったのだ。

 

アンナチュラルクロスオーバー

正直、どんな感じだろう、身内ネタすぎてMIU404単独のファンが疎外感を覚えないだろうか…って不安だったんだけど、

アンナチュラルを見たことのない夫がとても自然に鑑賞していて安心した。

自然に話にUDIラボが組み込まれていて、坂本さんも理解してもしなくてもいいオプションというか、それこそ志摩と伊吹の雑談のような存在で、変人のいる施設なんだなという印象を強めただけという、見事な塩梅だった。

長すぎず、かと言って「役者が同じだけ」という物足りなさもなく、本当に楽しかった。

 

あと、中堂さんが、不自然な死を許さずに、過去の時間まで洗ってしまうような人になっていたところにミコトの影響を感じたり、坂本さんが中堂さんに堂々と対応していたり、成長があらゆるところから感じられてとてもよかった。(電話口の中堂系の変わらなさも、もちろん。)

ファンサービスに徹したクロスオーバー最高でした、ありがとうございます。

 

余談だけど、

「あの時すでに…」って、後から考えてゾッとする感じ、アンナチュラルのあの犯人に似ているなと思った。

 

その他

「犯人であって欲しくない」が見せる虚像

前々回、「信じたい映像を信じる」ことを反省したはずなのに、不自然にへこむ手押し車を気にも留めず、伊吹の語る「病死」を疑いもしないのがとても恥ずかしかった。

勝手に情報を取捨選択して、勝手に信じる情報を決めて、それが本当か疑いもしない。証拠はずっと目の前にあったのに。演出に誘導されて、簡単に騙されてしまった。

↑この放送中の気づき、実は私のものではなく隣で見ていた夫のものなんだけど、私はガマさんを無意識のうちに「犯人ではない」と考えているから全く結びつかなかったのに対し、夫はガマさん登場回を見ていないのでドラマの中にある情報を論理的につなぎ合わせていたんだと思った。まさに志摩の言うバイアスだ。

志摩だけが、「犯人であって欲しくない」の感情に邪魔されず、残りの全ての可能性を排除した先に残されたガマさんという真実に辿りついた。

誰かに「犯人であって欲しくない」などという希望を持つことがバイアスになり、病死という自己申告を盲信させたり、容疑者から排除したりするのだ。伊吹はずっと、無意識のうちに「犯人じゃない」ガマさんの虚像を見ていたんだなと思った。

 

九重はきっと大丈夫

…と、予告を見て思った。

「成川を見過ごしたのは自分です。行かせてください」と、失敗を認めて挽回しようとする姿は、成川を見過ごしたあの時には想像もつかなかった。

やっぱり、陣場さんから「失敗も言え」という言葉を引き出したのは大きかったと思う。あと、当時の九重では成川を適切に救えなかったんじゃないかとも思う。

前回の感想でも書いたけれど、結局救いたいと救われたいのタイミングが一致していないと、適切な助けは与えられない。

捕まるより誤魔化すことを選んだから、成川は分岐点で選択肢を間違えたのかもしれない。九重「が」手を掴めなかったとばかり思っていたけれど、成川「が」手を掴ませなかっただけなのかもしれない。

九重が救いたいと思っているだけでは救えなかったのだとしたら、このタイミングで再会するしかなかったんじゃないかな。

次回、不安だけど楽しみだな。成川、お前を心配する大人が沢山いるんだよ。

 

誰も死なないで

ずっと心配していた九重が意外と自分の失敗に向き合えそうなことを考えると、次週誰が死ぬのかと不安になる。

やり直せる九重が安泰なら、伊吹や志摩が闇落ちする?個人的には、陣場さんあたりが誰かを庇って死にそうな予感がして怖い。

 

ハムちゃんの人生

志摩が直したのは、適切な手が加わればハムちゃんの人生も好転するという示唆なのか、ハムちゃんの人生が止まることの示唆なのか、わからなくて怖い。

 

ガマさんと奥さん

 

追記:MIU404の終わり方

前回の感想では、誰も死ななければ100点だと考えていた。

でも、今回思ったのは、第1話で「機捜は誰かを救える」と伊吹が感じた日にガマさんが事故に遭ったという残酷な裏切りが第8話に発覚したのと同じような長期スパンの伏線が他にももっと張られているのだとしたら、第1話の伊吹の危うさと、第8話の「志摩に逮捕されてたかも」が、伊吹の逮捕という展開につながる恐れがあるということ。

メモをしっかりとって捜査会議に参加している姿からは、志摩の影響による変化を感じるし、そんなことはないと信じたいけれど。

4機捜解散。4人はそれぞれのフィールドで。なんて寂しさがありつつも優しい終わり方は高望みかもしれない…と思い始めた。つらい。

 

忘れたくないツイート

 

細々と
  • 伊吹の部屋の間取りがかなり現実的ですごくよかった。ドラマの間取りって、収入や職場の近さや駅の近さで、「この広さ嘘だろ?」ってよく思うけどそれがなかった。あと、部屋のこだわりも伊吹っぽくて、キャラクターがすごく練られていることがわかって最高だった。
  • 志摩、もうパパになろうぜ。めっちゃ懐かれてるじゃん。あの子供受け最強ぐにゃぐにゃ男の伊吹よりも、だよ?すごいことだよ。
  • 伊吹ほどおちゃらけていないだけで、志摩も実はユーモアのある人間なの、すごく好きだな。仕事にはストイックなくせに。

 

おまけ:「ちょうどいい」クロスオーバー比較

普段、他の作品を下げることで作品を持ち上げる手法は本当にみっともないと思っているんだけど、これ以降は作品全体の面白さではなく、「クロスオーバー」という手法の点でのみ、比較する文章が含まれています。

どちらの作品にも失礼だとわかっているけれど、クロスオーバーでがっかりした記憶が新しいので、どうしても思い出してしまいました🙇‍♀️(特に、前は身内ネタのクロスオーバーに置いていかれた側だったので…。)

それを理解した上でお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

第3話で毛利さん達が登場した時も思ったんだけど、クロスオーバーが身内ネタを押し付けすぎず、かといってキャラクターがただ背景になる(同じ役者が出演するだけ)わけでもなく、とても良かった。

以前、ニッポンノワールのクロスオーバーのやり方でもやもやしてた(※結構悪口なので注意)んだけど、クロスオーバーって、説明を省くためのものでもないし、「わかる人だけ」で楽しもうね!と、前作を見ていない人を仲間外れにするものでもないはずなんだよね。「前作を知っているからより楽しめる」と「前作を知っていること前提で楽しませる」は別物だから。

参考:ニッポンノワールでは、脚本家の以前の作品である「ジョーカー」の殺人犯役と同じ俳優が刑事役として使われていたが、実は「ジョーカー」の殺人犯が後に記憶を消されて刑事になっていたという、「ジョーカー」を知らないとポカンとしてしまう設定流用が行われた。

今回、UDIラボは、誰もが知っている施設として登場していない。「みんな知ってるよね?」という態度で使用されない。どのような施設なのか紹介されている。

知っている人はニヤッとして、知らない人も「そういう場所があるんだ」と思うだけ。もちろん、「前作を知っているとわかるんだろうな」という雰囲気は初見の人も感じるだろうけど、ただそれだけなら初見の人は「へえ」と思うだけだ。(少なくとも私はテレ朝の刑事物クロスオーバーでも、ストーリーの理解に支障がなければ「ふーん」と感じるだけだが、そうじゃない人がいたらごめんなさい。)

なぜなら、UDIラボの存在はMIU404第8話において「装置」にすぎないから。坂本さんの持っているムーミンや、坂本さんの態度は、前作を知っている人なら楽しめるオプションで、今作での説明を省くために前作での設定やキャラクターを流用したわけではない。

省略のためではなく、ただのサービスなのだ。

 

私はアマプラで配信されてからも再度見たくらいアンナチュラルが好きだけど、クロスオーバーのやり方にとても怯えていたので、本当に安心できる塩梅だったと思う。

アンナチュラルを見たことない人を、仲間外れにしない。アンナチュラルを見たことない人を、「前作を知らなかったから全てを理解できなかった」という気分にさせない。「アンナチュラルも見てるっしょw」と考えていない。身内ネタを外野から見ることほどつまらないことはないと知っているんだろう。

それは、脚本家の力量だけではなく、制作している人たちが、「アンナチュラルチームが作ったもの」ではなく「MIU404」を楽しみたい人のことを考えているからだと思った。嬉しいなあ。

 

 

 

実況中のツイート