つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

MIU404第9話感想〜誰かを救うことで救われる人々〜

経験を取りこぼさず、"九"話分"重"ねた結果、「できなかったこと」を「間に合ったこと」で上書きできた九重が、本当によかった…。

 

前回の感想

 

 

 

主観による評価

★★★★☆

 

それぞれが1人で積み重ねた「間に合わなかった」という痛みを、2人でなら「間に合った」に変えられるという希望が眩しかった。

2人もそんなこと知らなかったと思う。2人が力を合わせれば最強だって思ってたわけじゃなくて、2人で力を合わせないと間に合わせることはできないんだという必死さがあの結末を勝ち取らせたんだと思っている。

 

そしてそんな後悔を九重に味わせまいと見守るみんなの姿勢も、本当に胸が苦しくなるほど優しくて、だからこそ九重は「できなかったこと」を直視できる人間に育ったんだと感じた。

 

九重は決して最初から「できなかったこと」を直視できる人間ではなかった。

4機捜に配属され、志摩に出会い、陣場に育てられ、伊吹に付き合わされ、陣場に「失敗も言えるようになれ」と言われて初めて「できなかったこと」を見つめてリカバリーを言い出せるようになったのだと思う。この条件が全て揃ったから。

どのスイッチが欠けても決して辿り着けなかった場所に九重がたどり着いたことが、本当に嬉しかった。

 

 

救うことで救われる人たち

前回の感想で書いたことを引用。

陣場さんから「失敗も言え」という言葉を引き出したのは大きかったと思う。あと、当時の九重では成川を適切に救えなかったんじゃないかとも思う。 

(中略)救いたいと救われたいのタイミングが一致していないと、適切な助けは与えられない。

捕まるより誤魔化すことを選んだから、成川は分岐点で選択肢を間違えたのかもしれない。九重「が」手を掴めなかったとばかり思っていたけれど、成川「が」手を掴ませなかっただけなのかもしれない。

やっぱり、成川が、心の底から救われたいと思ったときしか、成川を救うことはできなかったんだ。

 

ハムちゃんの言葉を聞かなかったら、詐欺師という言葉を疑わなかっただろう。

詐欺師という言葉を疑わなかったら、成川はお金をもらってあの場をすぐに去ったはずだ。

そして本当に二度と戻れなかっただろう。

久住に見捨てられ、初めて、自分の立っている場所の不安定さに気づいた。自分の足元が揺らいでいることに気づいて初めて、「ここから出なくては」と思えるようになった。

成川だって、九重があらゆるスイッチを経て失敗を見つめられるようになったのと全く同じだ。沢山のスイッチが連動した結果、やっと「救われたい」にたどり着いたのだ。

それが狭くて寒くて暗い井戸の中、死に直面する場面だったのは偶然だが、揺らいだおかげで、彼はハムちゃんを踏み台にして自分だけ助かろうとするのではなく、2人で助かりたいと考えることができたんだろう。

きっと、久住に電話して最後の細い蜘蛛の糸を切られなければ、2人で助かろうと考えなかっただろうし、自分だけ助かったら結局二度と光のさす場所には戻れなかっただろう。傷ついただろうけど、あの電話も必要なスイッチだったのだ。

全てのスイッチが揃って、ハムちゃんを救うことが、成川自身を救うことにつながった。

 

でも、救われたのはハムちゃんと成川だけではなく、伊吹も志摩も九重もだ。

みんながみんな、「できなかった」「間に合わなかった」に苦しめられていた。

でも、各々の救いたい誰かが救われたことで、自分自身が救われることにつながった。

間に合わなかったという記憶を上書きする「間に合った」を誰かが与えてくれることでしか、救われることはできなかった。

 

九重は根性で成川を救う未来を掴んだけれど、成川が救われたいと思ってくれなければ、九重自身は救われなかったのだ。

成川自身の変化が九重を救ったと言ってもいい。成川を救うことでしか、九重の後悔が解消される方法はなかったのだから。

 

そして何より私は伊吹が「間に合った」を味わうことができてよかったと思う。

これもまた前回の感想で書いたが、伊吹はとにかく良いスイッチ「である」ことを求められがちだ。

伊吹は常に良いスイッチになれる万能の神なんかじゃなく、ただそこにいるだけだ。それをスイッチにするのは周りの人々にすぎない。

それなのに、良いスイッチになれなかったことは周りをがっかりさせてしまうし、伊吹自身、自分が誰かの道を誤らせてしまったことで悩むこともあるだろう。勝手に期待しているのは周りなんだけどね。

人に期待されがちな伊吹の苦しみを救うのもまた、誰かを救えた経験以外になかった。

だから、己の手でハムちゃんを救えて、本当によかったと思う。もう手のひらから何かがこぼれ落ちる経験をしなくて、本当に良かった。

 

 

大人になっていた九重

子供と大人の境目は、20歳や社会人になった時に訪れるのではないと思っている。

第1話の九重は、年齢的には大人でも、精神はまだ子供だった。見守られる人で、見守る視点を持たなかった。

でも、少しずつ成長して、今回はもうこの人は見守る側になったんだなと思った。

最初に思ったのは、成川の母親に会ったシーン。九重はもう、大人たちが子供を受け入れてあげなければ・探してあげなければいけないと考えているのだ。

それは、彼自身が自分が守られる側ではなく守る側だという自覚を持ったからだろう。だから、同じ立場にあるはずの大人の姿勢を責めるのだ。(そこから、さらに「責めても聞かないだろう」という陣場さんのような姿勢になるのは時間かかるかも知れないけど。)

 

そして、次に思ったのは、成川連行のシーン。

大人になったから九重は成川に、その場しのぎの慰めではなく、たった一言「全部聞く」と伝えたのだと思った。あのたった一言から感じる成長の重みがすごかった。

大丈夫でもない。労う言葉でもない。成川の罪を否定も肯定もせず、「全部」受け止める。

それは、成川が家庭で得られなかったものなんだろう。怒るわけでもなく、追いかけるわけでもなく、自分を諦めたあの家庭で、ただ受け止めてもらう経験を成川はしてこなかったんだと思った。

だからこそ九重は、成川に必要なのは罪悪感を軽減させる言葉じゃなく「そこにいて話を聞くこと」だと判断したのだろう。

もう、「何故わざわざ日本に来たのに逃げるのだろう」と疑問に思う青い刑事はどこにもいない。

でも、失敗を忘れないガムシャラさは持ち続けて欲しいな。

 

それにしても、周りの人たちを見て、吸収して素直に成長するの、本当に育ちがいい証拠だなと思う。

 

 

善意も最悪の結果へのスイッチになる

青池透子を思い出した、ハムちゃんの願い。

今回、ハムちゃんや成川の善意が無駄にならなくて本当に良かった。良かれと思ってしたことが最悪の結果になるのは、「努力すれば報われるかもしれない」という希望を持って生きている視聴者の絶望になるから。(少なくとも私はそう。)

 

今回、今までの話より特にハラハラしたのがまさにこのポイントだった。

善意と善意が繋がっているのに何故か最悪の方向に向かっていくのだ。

善意は良い結果につながって欲しい。誰だってそうだ。倒れた自転車を起こしたことで誰かが怪我をする結果になどなって欲しくない。

なのに、刑事として職権濫用を避けた志摩はナウチューバーの動画を見逃し、ハムちゃんのプライベートを守った桔梗は成川とのラインを見逃した。何かを大切にした結果、早く気づくきっかけをことごとく見落とす。

まるで香坂を救えなかった志摩と同じだ。

悪いことをして悪い結果につながるのは構わない。でも、優しい気持ちを運命が踏みにじるのが辛かった。 ハムちゃんの、「この子なら大丈夫だろう」を感じた相手が最悪の相手だったのも。

 

でも、現実ってそんなもんなのかなと思う部分もあった。

たった一つのスイッチで人の道が分かれてしまうように、悪者だって一つ一つは善意だと思って行っているのかもしれない。

久住だって、行動だけを見れば「家に帰りたくない少年」に居場所を与えたのだ。それでも最悪の方向へ向かった。

そもそもこの作品におけるスイッチという言葉はまさにこの概念を含んでいるというか、何が良いスイッチになるかわからないし、どのスイッチが良い方向に進ませるかもわからないのだ。

プライベートを守ることや、人を信じることが「善意」だと決めることがそもそも間違いなのかもしれない。そのスイッチには善も悪も元々なかったのだ。

 

 

でも全てがスイッチのせいじゃない

今回の話で救われた誰もが、思わぬスイッチで今回の結果に辿りついたように見えるが、私はやっぱり最終的な運命を変えたのは意志だったと思う。(自己責任という意味ではない。)

スイッチと分岐点。このドラマで提供された非常に便利な言葉だ。でも、この「スイッチ」という概念を知ったせいで、全てを「スイッチ」によるものだと思うのは間違っている気がした。

便利な概念に全ての物事を当てはめるのが正しいわけじゃない。

 

九重の結末に、彼の意思は関係なく、出会った物事が導いたのか?そうじゃないだろう。

たまたまいい結果に終わったのではなく、いい結果に終わらせたいという意志が最後まで導いたのだ。

第何話だったか忘れたが、スイッチによる影響を「せい」にするか「おかげ」にするかはその人自身が決めるしかないのだ。

たとえ結末が人殺しだとしても人によってはそれは「そのせいで人を殺した」になるし「そのおかげで人を殺せた」になる。

じゃあそれを分けるのは何なのかというと、人の気持ちだと思う。

志摩と伊吹があの家にたどり着いたのがスイッチによる巡り合わせだとしても、「ハムちゃんを見つけたい」意志があったからそこまでの行動があったのだ。

 

便利な言葉に頼って、全てを偶然と自分の力が及ばないスイッチのせいにしてはいけない。

伊吹は自分の意志で飛び降りて、自分の意志でハムちゃんを助けにいったのだから。

 

 

その他

愛する相棒と愛する人

志摩と伊吹、お互い「好きな人」は桔梗さんとハムちゃん(きゅるんは好きな人でいいのか?)なのに、相棒としては互いが唯一無二なのがたまらん。 そして、いつの間にか相棒としての立ち位置が変わっているのもすごい。2人は相棒になったんだな。本当に。

 

そして、伊吹のことも頼りにしてるけど、最終的には桔梗さんを待っているハムちゃんもたまらん。

 

追記:今も多分どこかで起きていること

これ、私もすごく気になった。サイバー犯罪対策課みたいなやつあるはずだし。サイバー犯罪はハッキングとかか。ネット犯罪?

でも、私が観測していないだけで、この世界には山ほどそういうツイートが溢れているかもしれなくて、「Twitter人探しツイート監視」担当の人でもいない限り、あのたった一つのツイートを見つけて疑問に思うのは難しいのかもな。

今もネットという広大な海で起きているかもしれないと思うとゾッとした。

 

細々と

面白かったんだけど、この行動がハムちゃんを撮影した映像を見逃すことになったので辛くもあった(笑)

 

ハムちゃんを救うために2人で頭働かせるシーン胸熱だった。来週2人でご飯食べてるの何…。 志摩の走馬灯説ある。

 

 

忘れられないツイートたち

 

 

 

実況中のツイート

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