つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

MIU404第11話(最終話)感想〜MIUのない金曜日のスピードに僕は耐えられるだろうか〜

オリンピックの開催されない世界戦で良かったんだと思わせる物語、今の私たちに必要な物語だったのかもしれない。

 

前回の感想

 

 

 

主観による評価

★★★★★

 

毎クールドラマ見てるけど、こんなにも「明後日はMIUだ」「明日はMIUだ」と心を奪われるドラマは久しぶりだった。

面白くて、社会問題に切り込む、かっこいいドラマだった。

(インタビューで、かっこよくなりすぎないためにメロンパン号にしたって言ってたけど、メロンパン号に乗ってることさえかっこよく見えてしまうわ。)

同時に、友人に「情報多すぎ、スピード速すぎ、社会批判がよくわからなくて見続けられなかった」と言われ、自分の主観はあくまで主観だなと思い出すきっかけも与えてくれた。

万人に同じ評価を受けるドラマなどなく、それは私の愛するMIU404でも同じだ。見ないと損とか、絶対面白いとか、思わず口にしそうだったから、本編とは関係ないところで襟を正す機会にもなった。

だから、誰もが認める最高のドラマなんて仰々しい言葉じゃなく、「私にとっての最高のドラマだった」という言葉で、心の中に大切に保存しておこうと思った。

窮屈なこのご時世にドラマの中で羽ばたくかっこいい人たちを見せてくれて、本当にありがとうございます。

今も街のどこかで走り回っていると思うと、本当に元気が出ます。

お疲れ様でした。

 

 

殺して楽になんかしてやらない

久住の終わり方、最高だった。

 

久住の背景を知ることができずにモヤモヤした人ももちろんいただろう。私だって知りたくないわけじゃない。

でも、東日本大震災で親族を亡くしていたからといってなんなのだろう。ドラッグを流通させることが許される?デマで人々脅かすことが許される?

そんなはずはないのだ。

どれだけ悲しい過去があっても、犯した罪はただそこにあるだけ。

 

それなのに私たちは知ろうとしてしまう。

大学は?兄弟は?就職先は?調べてみました!知りたい人がたくさん検索するから、そんなブログはなくならない。

ああいったブログを全く読んだことがない人もいるだろうけど、読んだことがある人も、きっと自分が知ろうとしたことを忘れて、デマを拡散するナイトクローラーや久住を悪者のように感じただろう。でも本質は変わらないんだと思う。

そこで、私たちの愉しむ物語になってくれないという事実を突きつけられる。私たちは真実を知りたいのではなく、望むストーリーを聞きたいだけなのだ。

お前らの本質はそこにあるんだよ、先週馬鹿にしたネットの住民とどこが違うの?と言われている気がした。

まんまと東日本大震災かも?なんて思ってしまって恥ずかしい。

「解釈」と銘打っただけの感想や妄想にだって、養分なんか与えてやらない。

久住は、東日本大震災で被災した人にもなれるし、被災しなかった人にもなれるのだ。

 

そして、自分がばら撒いたドーナツEPという種によって自分が損をする、美しいまでの自業自得が恐ろしかった。

上で、久住は私たちの望むストーリーを見せてくれないと書いたが、伊吹と志摩も、久住の望むストーリーを見せてなどやらない。

殺せば楽になる。ドーナツEPのことも忘れられる。だからこそ殺さない。苦しんで生きるという最大の罰を与える。

正義の味方のお巡りさんが、悪魔みたいな考え方するよな。

でもそういう結末が面白かった。

久住は悔やまない。同情ももらおうとしない。ここで物語は終わり。

 

 

夢か現か

二人が死ぬなんて、どちらかの妄想か何かだと半分思いながら、本当に死んでしまって2020年まで経過してしまったのか…と思った瞬間オリンピックが開催されていて、オリンピックが開催される予定の今の志摩や伊吹の想像の限界なんだと気づいた瞬間「現在」に戻って鳥肌が立った。

面白かったけど、新型コロナウイルス感染拡大のない世界線でのMIU404第11話も見たかったと思った。どんな展開にする予定だったんだろう。

本来のエンディングも404 Not foundなんだな。

 

あの夢、最初は志摩にとっての最悪は伊吹が怒りで我を忘れて犯人を撃ち殺すことという悪夢なのかと思ったけど、なぜ「どちらが観た夢なのか」をはっきりさせないのかわからなかった。

でも、それもまた目的なのかもしれないと思った。

志摩の見た夢と、伊吹の見た夢、二つの解釈の余地。

私たちが見ていた「悪夢」は、伊吹が主人公だった。伊吹の視点で進み、志摩は伊吹が扉の血に気付くまで登場できない。

それは、志摩が伊吹視点で夢を見たとも捉えられるし、伊吹が自分の夢を見たとも捉えられる気がする。なぜなら伊吹は、自分が警察らしさを失うことが、一番志摩を失望させるとわかっているから。

志摩の悪夢でもあり、伊吹の悪夢でもあったんだろうな。夢の通りにならなくて、よかった。

命を失ったらおしまいだけど、ゼロに戻るだけならまた何度だって始められるんだから。

↑これ。どちらなのかわからないところがいい。

 

 

伊吹への「わかってほしい」

伊吹ならわかってくれるという甘えと、自分が突き放しすぎると何しでかすかわからない「ストッパーとしての自覚」が最高だった。

 

最初は、甘えを感じた。

「どこまで聞いたか知らないけど俺は」なんて誤解されたくなくてフォローしようとしてるんだもん。

冒頭からずっと伊吹を守るために突き放してたんだよ。でも誤解されたくなかったんだよ。意味わかんない、矛盾してるじゃん。矛盾してるのに理解して欲しいのは甘えてるんだと思ってた。(そういう面を否定することもできないけど。)

 

でも、自分がストッパーである自覚があったからこそ、突き放しすぎず近づきすぎない距離を保つつもりだったのに、突き放しすぎたことに気付いたのだろう。

ストッパーだからこそ過度に突き放してはいけなかったのだ。実際に伊吹は単独行動に出てしまった。

計算尽くで行動したはずだったのに、計算しきれなかった盗聴。だから焦った行動に出て捕まってしまったんだろうなあ。

 

今回の話を思い出すと、志摩は伊吹のこと「わかってる」と思っていたんだなと感じた。実際にはわかってないから盗聴されたわけだが。わかっている自分に甘えていた。

どう接したら伊吹が腹を立てるかは理解している。でも、志摩がわかっていなかったのは、伊吹がどれだけ「自分(志摩)」を理解しているかだった。

志摩が伊吹を理解するのに使った時間と同じだけ、伊吹も志摩を理解する努力をしてきたのだ。志摩の想定外の行動をしても不思議ではない。

不思議ではないのだが、そのイレギュラーな変化が微笑ましくて熱くて、それに気づかなかった志摩が愛おしくも感じてしまった。

 

志摩は、伊吹のことを全面的に信用することはない。

でも、伊吹は志摩にとって、相手のことを理解していると過信してしまうような存在なのだ。

「私はあの人のことを理解している」と思いたいなんて、もっと甘い関係で耳にするような概念だ。

11話でこの変化が生まれてよかった。伊吹、長生きしてあげてね。

 

 

追記:志摩がなぜあそこまでキレたのか

一晩経って落ち着いて考えると、志摩が警察をやめてまで解決したがったのって、伊吹をあまりにも神聖視しすぎているからでは?と思った。

仲間が傷つけられることなんか今までもあっただろうから、志摩がキレた主な要因を他で考えた。

  • 桔梗が資質とは関係なしに志半ばで異動することになったこと
  • ↑自分に力がなく、そんな桔梗を救う手立てを持たないふがいなさ
  • 心のどこかで伊吹のせいにしている自分(伊吹を信じたかった自分)が自分勝手で許せないからなんとか捕まえて伊吹の選択を正しかったことにしたいという執念

あくまで警察としてルールを守って戦おうとした志摩が、警察を辞めてでもと考える一番大きな理由は、とにかく「自分のミスをカバーしたい」だと思う。

これが、自分の久住を取り逃したことや隊長の左遷に自分の判断ミスが関係していなかったら、きっとまだルールの中で戦おうとしていた気がする。そういう男だ。

志摩が考える判断ミスは、伊吹を信じてしまったことにはじまる。でも、伊吹が悪いのではなく信じないと決めていた自分が信じて伊吹の責任にしているのが悪いからこそ挽回したい。

志摩が許せないのは伊吹ではなく自分。

で、ここで自分の力で挽回しないと何が起こるかというと、「ずっと伊吹のせいにしてしまう」というのもあるけど、大きいのは「伊吹という刑事が間違っていたことになってしまう」ということだと思った。

久住の方ではなく病院の方に進んだことが間違いになってしまう。なぜならそのせいで捕まえられなかったから。

志摩は伊吹に正しくあってほしいし、伊吹を正しくするためには自分が警察を辞めてでも久住を捕まえなければならない。

自分が刑事であることより、伊吹に「正しい刑事」であってほしい。ちょっと偶像崇拝にさえ近い気がする。

信じてまっすぐ走れる伊吹のような刑事になれたらよかった。でもなれないからせめて彼の正しさを立証しなければならない。

あのとき病院に行った選択を間違いにしてはならない。久住を捕まえられればそうはならない。

志摩は自分の刑事生命をかけて、伊吹を正しい人間にする条件を整えたのだ。

スイッチなどという不確定なものに頼らずに、自分で運命をねじ曲げて選択を正しく「した」。

 

そしてそんなことのために奔走したことを微塵も感じさせない「現在」の様子がまた良い。

 

 

追記:スイッチと意志

「スイッチ」は、良い方にも悪い方にも進む。

でも志摩は今回、悪い方に進む結果になってしまった伊吹の選択(病院直行)を、自らの手でねじ曲げて「良いスイッチ」に変えたんだと思った。

伊吹の選択はあのままだと「あのスイッチは悪い方向に進んでしまったね」で終わっていた。

志摩は、伊吹を正しい刑事にするために、スイッチを「後から」良いものに変えた。

久住は爆発騒ぎの中じゃなく、船の上で助けることが一番な結末だったと。

伊吹を正しいことにするための執念がすごいと思った。

 

陣馬が目覚め、九重のメッセージがスマホを揺らし、伊吹が目覚め、志摩が目覚めた。

そういう偶然のスイッチの連なりも美しい。

でも、良い方に進むか悪い方に進むかわからない要素なんかに頼っていられないという人間の意志も美しいと思った。

過ぎ去った選択肢を正しくもできるし間違ったままにもできるのが人間なのだ。

 

 

伊吹と志摩(最終話放送前)

志摩にとっての伊吹と伊吹にとっての志摩って何だろう、と放送前に考えていたことを書き残しておく。(この文章は最終回放送前に書いている。)

志摩と伊吹が互いの足りないものを補っていることは感じていたけど、言語化できずにいたところに、このツイートを見て、ちょっと言葉にできるようになった。

二人は、本質は似ている(少なくとも真逆のバディではないと思う)けど、理性が各々のどこを抑えきれずにいるかが異なっていて、それによって不器用なポイントが異なっていると思った。

そして相棒の不器用なポイントをフォローするという意味で、伊吹の理性が志摩で、志摩の理性が伊吹なのかもしれないと感じた。

 

伊吹は理性(頭)で五感を制御できず、情報量が多すぎて言語化できない。インプットする情報を理性で制限できればいいのかもしれないが、それはそれで情報量が減るし研ぎ澄まされた感覚を制限するだけなので、言語化できない何かを拾ってくれる「誰か」がいれば制御の必要はない。

逆に志摩は理性で冷静さを保ち言語化する能力に特化していて、伊吹の言語化できない何かを拾うことができる。

 

しかし志摩が一方的に伊吹のフォローをしているわけではなく、志摩が自分の理性で制限できない感情である「相棒の死」や「恋愛」への苦しみには必ず伊吹が寄り添っている。

そして志摩の代わりに、志摩が一人では無理な弱音を吐き出せるようにフォローする。

第10話で、キャッキャウフフしなかった志摩に対して、伊吹がへたれとか意気地なしとか、志摩自身が自覚していることを無邪気にぶつけていたら、志摩は反発して喋れなくなっていたんじゃないだろうか。だってそんなことわかってるんだから。

志摩自身が情けないと感じているところをポジティブに受け止めて、口を開くことができるようにしてあげるのが伊吹の役目なんだなと感じた。

多分伊吹と出会う前の志摩は、恋愛や香坂のことに対する弱音を口から吐き出すことなんかできなかったんだと思う。想像だが。理性で抑えられない感情なのに、吐き出すことだけは理性で抑えていたのかな。(ストイックだな…)

誰かを思う気持ちや後悔は「忘れよう」という意志でコントロールできない部分。伊吹の存在は、志摩の中で「どうしようもない(抑えられないから放置するしかない)」ものとして転がっていたそういう感情たちを、弱音に変換する装置として働いているんだろうなと思う。

 

二人は互いの理性だと最初に書いたが、理性というより「本人が口にできない言葉の代わり」かもしれない。

伊吹の口になるのが志摩で、志摩の口になるのが伊吹。そういう二人なんだと私の中では受け止めた。

 

 

MIU404が言語化したこと

わざわざ項目立てて書くことでもないんだけど、↑を書いてて考えたことがあったので。

志摩が伊吹の考えを言語化したように、MIU404そのものが、曖昧なものを曖昧なまま終わらせずに言語化してくれたと思ったもの2つ。

勘という曖昧なことを、感覚が鋭すぎて情報量が多すぎてアウトプットできないだけと言語化してくれたこと、めちゃくちゃわかりやすかった上に、たしかに伊吹はそうだわと強く思った。

伊吹の勘は当てずっぽうではなく、当たっていることも多かったから。

伊吹の理屈がわかったのもよかったし、ただの勘の鋭い人間で終わらなかったのもよかった。そして、現実世界での「勘」の正体もなんとなく理解できた。

 

また、バタフライエフェクトという、言葉だけでは飛躍が大きくてつかみにくい概念を、「スイッチ」という言葉を使うことで蝶が羽ばたいて竜巻が起きるまでの経緯も合わせて説明してくれたこと。

多分あまりタイムスリップ物やその中で小さな行動が大きく未来を変える展開に触れてこなかった人にもすごくわかりやすかったと思う。私も理解しやすかった。

蝶が羽ばたいたから、小さな風が起きて、隣で起きた小さな風と合体して、近くにあった木をたまたま巻き込んで、竜巻が起きる…といったように、「起」と「結」の間にも時間は存在している。

小さなことが積み重なって大きな変化(その小さなことが起きなければ起きなかったこと)につながることが、「スイッチ」や「分岐点」という言葉で目に見えてわかりやすくなった。

九重が4機捜に来て、伊吹が志摩の過去にこだわって、陣馬さんが九重に言葉をかけた。

九重が4機捜に来ただけでは志摩の過去を解決することにはならなかっただろうし、伊吹がこだわっただけではあの結末に辿り着けなかった。何一つ欠けてはいけないスイッチだったことがわかりやすかった。

蝶が羽ばたいて竜巻が起きるまでの道にも、たくさんスイッチがある。視聴者にそのイメージを伝えるために、曖昧にバタフライ効果という説明で終わらせないでくれてありがたかった。

ストーリーを読み解くために必要な概念はしっかり教えてくれていたんだなあと思った。(別にそんな意図は公式にはないかもしれないが。)

(まあ、「スイッチ」という言葉による説明ばかりに目がいって、6話の感想でバタフライエフェクトに触れているのに10話でアゲハチョウを見ても全く連想できなかったわけだが。)

 

 

強い女 弱い女

野木さんのテレビジョンのインタビューを読んで、やっぱり桔梗さんが好きだと思った。(こういう女を描こうと思った野木さんも好き。)

みんながみんな、桔梗のように強くいられるわけではない。だけど、手を取り合うことはできるのではないか

これすごいことだと思う。自分の強さを認め、他者の弱さも認めていないとできない。

すべての人に強さを求めるのではなく、ありのままで手を取り合いフォローし合い生きる。

桔梗さんの強いところ、そしてそれを誰かに押し付けない生き方が大好きだ。弱い人を弱く扱わずに手を取り合うことを選べるところに憧れる。

桔梗さんは、ハムちゃんに強くなることを求めない。でも共に戦ってくれたことに感謝する。

私なんか、弱い人間だと自覚しながら、自分より弱い人に優しくできないことに悩むことが多い。

だから桔梗さんの、他人の弱さを受け入れるところも、強さだと思った。

桔梗さんのようになりたいけど、なれない私のような人間も受け入れてくれるんだろうな。(どうだろ…怠惰だからあかんかな…。)

桔梗さんは「自分はこう生きる。でも他の人のあり方も認める。どうしても強くなれない人もいる」と自他を明確に分けている。

男社会に腹を立てながらも、「弱いからと隠れずに立ち上がれ!」と、弱い人に無理強いしない。あくまで、立ち上がった人に感謝するだけ。

強い人はこういう選択ができるんだなと眩しい気持ちで見ていた。それを描ける脚本家ってすごいなあ。

強い女性を描きながらも、その生き方を押し付けない、いいドラマだったな。

 

 

その他

  • 桔梗さんとハムちゃん、シンプルに最高だった。

伊吹とハムちゃんとか、志摩と桔梗とか、描きたいこときっとたくさんあっただろうに、一緒に暮らし支え合ってきた桔梗ハムと、4機捜の相棒2組の絆に絞ってくれて、本当に良かった。

(それはそれとしておまけは見たい。)

 

  • 犯人を許さなくて殺したガマさんを見た伊吹が「許さないから殺さない」選択をしたことがカッコよかった。ガマさんとのことも、いつか伊吹の中で片がつくといいなと思うし、つかなくてもいいなと思う。伊吹自身が、ゼロから始めることを厭わないから。

 

 

4機捜全員のスイッチ

「スイッチ」については今までの感想で散々書いてきたから軽く済ませるけど、最後の最後に、誰一人欠けてもたどり着けなかった結末を見ることができたのが本当に素晴らしいスイッチの連鎖だった。

最後の最後にこんな見事なピタゴラスイッチを見るとは。

 

 

忘れられないツイートたち

 

 

 

実況中のツイート