つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

G線上のあなたと私第10話(最終話)感想〜エレベーターで下からキス(覚えたい日本語)〜

主観による評価

★★★★★

 

「今更何者にもなれない自分」の背中を少しだけ押してくれるような、優しいドラマだった。

「今の自分」を肯定してくれる。

それでいて「今から何かを始めていい」とも言ってくれる。

大人になってからでも何かを始められるし、でもできなくても前に進むことはできる。

「何か」が理由で苦しくて立ち止まった時に、私はきっとまたこのドラマを見たくなる。そう思った。

 

 

 

エレベーターが下りるほどの時間も空けないで

理人、アンタ恋愛マスターだよ…!

 

恋愛において、冷却期間というものはどうしても必要になってくる。

「モトカレマニア」ではマコチが「二人のことなのにどうして一人で考えようとするの?」と言っていたが、自分一人の頭の中で考える時間だってどうしても必要だ。

二人の間のことだけど、一人の気持ちでもあるから。

難しいのは、そのタイミング。一人にしておかないといけないタイミングと、一人にしてはいけないタイミングがある。その見極めがあまりにも困難。

急かしてはならないのに、放置してもならない。

でもそのタイミングを間違えると永遠に戻らない。糸が絡まり始めて解けなくなる。

 

やえこは、もう十分自分の頭の中で考えた。

考えて考えて行き詰まった。

なぜなら自分の頭の中で考えていては、理人の気持ちという要素を考慮できないから。

相手の気持ちというものは、本当に言葉にしないとわからないものであって、やえこは自分の不安のことは頭の中でわかっても、そこに不確定要素である理人の気持ちを加えることができない。だから、二人で話し合うのとは全く別の結論にたどりついてしまった。

一人で話し合った後、二人で共有することで、初めて「二人の」結論が出るのに、やえこは逃げようとした。

理人の気持ちという要素を取り入れたら、きっとこのままぬるっと現状維持になるから。(理人も押し切るだろう。)

でも何の勢いもない現状維持では、やえこの気持ちはついていけないだろう。

「このゆるっとしたお付き合いのたどり着く先は?」と考えてしまう。そしてまた立ち止まる。それを多分繰り返す。待っているのは疲弊と別れだろう。

だから、あのときのやえこに必要なのは、美辞麗句で優しく繋ぎ止められることじゃなく、タイミングをこじ開けられることだった。

身も蓋もない言い方をすれば、「ノリ」だった。

現状維持にするとしても、勢いでジェットコースターに飛び乗らなければならなかった。

理人が、慣れない「安心させる言葉」を並べ立てることを選ばなくてよかった。100の言葉より1のキスが雄弁に語ることもある。

少なくとも、あのエレベーターという小さな箱の中で一人にしてはいけなかった。

やえこが一人で考えた時間だって無駄じゃない。でもそれを無駄で終わらせなかったのは他ならぬ理人だ。

選択肢を間違えなくて、本当に良かった。

 

 

 

もう弟に見えない

やえこだって、理人が好きだ。

(中略)

でもそれ以上に、幸恵さんと3人、「友達」「他にないオリジナルな絆」でいることの方が大切だ。

なぜならそれは、保とうとする限りきっと失われないだろうから。

(中略)

些細なきっかけで、他の人に気持ちが動いたり、嫌いになったりしたら、もう取り戻せない。元の居心地の良さには戻らない。恋が介在するというのはそういうことだろう。

友達のままでいれば、恋とともに、「一緒にいられる関係」まで終わることはない。

(第8話感想より)

理人は若い。8歳も若い。

やえこも21歳だったことがあるから知っている。21歳の出会いの数と、29歳の出会いの数は全く違う。

だから「いつか」が怖い。理人が自分を好きじゃなくなることが怖い。そして理人と「三銃士」の仲の良ささえ保てなくなることも怖い。

それならいっそ、付き合わないほうがマシだ。振られて苦しくなるほどに恋人としての理人が当たり前になってしまう前に終わらせた方が、相手から切られたときのダメージが浅いから。

でもそれは同時に、幸恵さんの言う通り、「ゆるくて心地よい関係」以上になれないことでもある。

ダメージを出来る限り少なく済ませようとするのは大人の悪い癖だろう。

深い関係を望まなければ、ずっとずっと、ゆるい関係で「続く」ことができる。それでもままならないのが、恋である。

もう可愛い弟分には見えなくなってしまったのだから仕方がない。好きにならないようにしたって好きになってしまうのが恋だ。恋に「落ちる」とはよく言ったものだ。

もう弟には見えないのだから、傷つくことを嫌がっている場合ではない。

それをやえこもエレベーターで抱きしめられて確認できただろう。抱きしめられたら、多分ずっと抱きしめられたかった自分に気付いてしまった。

たとえば、喧嘩しないカップルが深くなれない(深く考えるからこそ喧嘩が起こる)ように、別れを恐れていては心の底から笑えないように、難しい話をしない友達を心の底から信頼できないように。

やえこと理人も深くなろうとしてぶつかり合う。苦難を乗り越えるたびに関係を深くしていく。

一緒にいるためにはそうするしかない。深くなることから逃げてはいけない。

不安になったら、その度ちゃんと抱きしめて現在地を確認すればいい。理人はちゃんとそれをわかっている…はず(笑)

 

 

 

幸恵さんになれたら

浮気しない人と一緒にいれば傷つくことはない。深い話をせずゆるい関係でいた方がずっと友達でいられる。病気も怪我もなさそうな家族といれば困ることなんかない。

でもそんなことができるのか?浅い関係のままで満足する。そんなことができる人は、多分浮気されても友達と喧嘩別れしても傷つかない。

浮気されて、喧嘩して、苦しむ人たちは、どんなに浅く済ませようとしても深い関係を求めてしまうんだと思う。

でも、深い関係は、きっと、「傷つくこと」と隣り合わせでしか存在しない。

親を大事に思えば、親が病気になった時に支えたくなる。夫を愛せば、裏切られた時に離れられないのに苦しい。大好きな友達と真剣な話をすれば、意見が合わなくて喧嘩になることもある。

深い関係は、時に自分を傷つけ苦しめる。

私たちは、浅い関係でとどめることを考えるのではなく、苦しい現実が訪れたときに、どうやって立ち直るかを考えなければならない。

どんなに嫌だ嫌だと思っていたって義母が倒れることはある。苦しい現実は待ってくれない。

そういうときに、苦しい現実を憎むだけじゃなく、バイオリンを弾くフリをして、前を向く。

辛い思いをさせる夫、苦しめてくる関係。捨てたい。でも捨てたらもっと苦しい。

だから、「苦しいものをそのまま捨てる」のではなく、何かを支えにして「苦しいものを携えていけるように気持ちを変える」ことを選ぶ。

先日の坂本真綾鈴村健一夫妻のラジオで坂本真綾さんがこんな発言をしていた。

どんな夫婦でも365日ずっと仲睦まじいわけじゃないと思うんですよ。やっぱり、1年に1回でも2回でも『この人のこういうところを尊敬できるな』とか『この人すごいな』って思えたら、あとの364日くらいまぁまぁでも、それでいいと思うんですよね。

幸恵さんにとっての夫も、こうなんだろうなと思った。364日辛くても、1回や2回、許せてしまうところがあって、そんなもので夫婦は続けていける。

何かに苦しめられている人に、その原因を捨ててしまえ!と言うことは簡単だが、その原因以外のたくさんの部分があって、それを一緒に切り捨てることはなかなかできない。

捨てる方が後悔するから捨てられないものは沢山あるし、それを抱えている人も沢山いるはずだ。

だから、「捨ててしまえ」は解決策にならない。

受け止めたり、受け流したり、諦めたり、立ち向かったり。

捨てられないのなら、そうやって生きていかなければならないのだから。

浮気されて、義母が病気になって。一見すると「幸恵さんの状況になりたくない」ようにも思える。

でもずっと愉快な人生でいられるほど、浅い関係の上で生きてはいけないなら、どんな状況になっても、幸恵さんのようでありたいと思う。

 

 

 

細々とした感想

 

  • エッチすぎるだろーーー!!!!!!

    ベッドの中でですか!?!?

    「してない!」って照れない…完全に肉体関係にある男女だ…互いの気持ちを確信している男女だ…。そこまで言ってないだろ。

 

  • ゆるい関係でいたいってことは恋じゃなくても好きってことで、そんな人と一緒にいられるなんて奇跡だよね。

 

  • マオ先生が幸せになって良かった。原作を読んでいるんだけど、原作だとかなり庄野さんとの描写が多い。結婚式での挨拶は何だこいつと思ったが、不器用でまっすぐで、こういう人を選んだんだなと思った。

 

  • 滝沢カレンが本当に良かったなあ。

     

  • 不安には、理屈を突きつけるより、とりあえず抱きしめて仕舞えばわりと解決する。これは忘れないでおけよ理人。

 

  • 温泉デート見せて欲しかった(遺言)

 

  • まあ本人たちとしてはそうもいかないわな(笑)

 

 

 

実況中のツイート(※温泉旅行への執着がすごい)