つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

アライブ がん専門医のカルテ第3話感想〜お別れすることがわかっている人、わかっていない人〜

主観による評価

★★★★☆

 

「まさかあれが最後になるなんて」って、ドラマでよく見るけど、あんなに「人はいつ死ぬかわからない」と理解しているお医者さんでさえ、自分の身近なことだと当たり前と感じてしまうんだなあと悲しくなった。

 

「ちょっと嫌味言って出勤しよう、私がいない間に一人で考えればいい。」その考えは、間違いなく明日も当然のように今日と同じ日が続くという慣れから来たものだろう。

いなくなるなんて思っていなければ、喧嘩ぐらいするだろう。

最後になるとわかっていたらもっと色々なことが言えたはずだった。

でも大体の場合、誰も最後になるとはわからずに最後の言葉を交わしている。

あれがいつもの日になれば、夜に二人で話し合ったり、喧嘩したり、心先生も考え直して「言い過ぎた。ごめん。」と言えたりしたんだろう。

でもそんな夜は訪れなかった。

 

冒頭の、旦那さんが目覚めた幻は、勿論心先生の「謝りたい。お礼を言いたい。」という強い気持ちが見せたものだろうけど、

ナースコールを押そうとした心先生に「もう少しゆっくりしたい」と言った旦那のことを考えると、

心先生だけじゃなく、旦那も、後悔している妻に最後に謝らせてあげたいと思っていたんじゃないかな、と思いたい。

意識のない人間が働きかけてくれるなんて、おとぎ話かもしれないけどね。

 

ただでさえ悲しいのに悲しむ子供がいるとさらに悲しくなる。

子供も、子供だからこそ周りの変化に敏感で、お父さんがもう戻ってこないことを察してしまうのが苦しかった。

 

一方で、お仕事パートでは、お別れすることがわかっている人たちがテーマだった。

じわじわと弱っていく家族を見ていると、きっとお別れの日が近づくことを感じて辛いとは思うんだけど、

それでも心先生の後悔を見ていると、

お別れの準備ができるのはある意味幸せなことかもしれないと感じる。

亡くなった後のコミュニケーションまで考えるなんて愛だなと悲しくなった。

自分が亡くなったからこそ生まれるコミュニケーションを見ることはできないのに。

自分が亡くなることをわかっている人の方が、亡くなった後のことをたくさん想像しているんだろう。

 

梶山先生は、全てを知った時の心先生のことを考えると、本当は近づかないで欲しかった。

だって、後悔を吐露するなんて、どれだけ心を許してしまっているのか。

毎回毎回、心先生が梶山先生の大切さを知るたびに、知ったときのダメージが大きくなるだけだ。どんどん蓄積されている。

でも、「自分のミスで苦しんでいるのに求めてくれることへの罪悪感」を抱くことこそが多分梶山先生への罰なんだろうし、

きっとこの局面を心先生は梶山先生無しでは乗り切れないだろう。皮肉なことに。

近づいてしまった時から、心先生が救われることも、梶山先生が苦しむことも決まっていた。

でも、梶山先生だって、見ず知らずの人に吐き出したいくらい、もう限界なんだ…。

 

今回は、お仕事=がん患者も、プライベート=夫の死も、めちゃくちゃ泣いてしまった。

このドラマは、痛くて苦しくて見たくないシーンも多いけど、テーマや伝えたいメッセージは本当に明確だなと思う。

こういうドラマを見るたびに、明日別れの日が来るかもしれないから後回しにしてはいけないと思う。

でも、人間は明日が当たり前に訪れることに慣れてしまう。

常に意識を高く持っていられない。

でも、せめて、覚えているうちは、仲直りしてから家を出たいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

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