つちや(仮)

大体当クールドラマ感想。たまに漫画、たまに旅、たまに雑談。

何歳になれば誰かの一番の友達になりたいと思わなくなるのか

友達がいるかいないかと聞かれたらいるし、

少なくもないと思う。多くもないが。

 

でも私のことを一番の友達だと思っている人はどこにもいないなあと、ふとした瞬間に考える。

中学生くらいからこの思考から動けていない気がする。

 

私が「夫婦関係に何かあったら一番に相談する」友達にとっての「夫婦関係に何かあったら一番に相談する」友達は私ではないし、

私が「仕事で何かあったら一番に愚痴る」友達にとっての「仕事で何かあったら一番に愚痴る」友達は私ではない。

 

ランチもするし、長電話もするし、お茶もするし旅行にも行く。

その時は楽しいし、不安な気持ちになるわけでもない。

 

書いていて思い出したのが、去年の友達の結婚式。

お決まりのファーストバイト(花嫁が花婿に、花婿が花嫁に食べさせるアレ)の後に、サンクスバイトというコーナーがあった。

お世話になった友達に食べさせるサプライズ演出。

花嫁と、私と、友達A、友達Bは4人で仲が良かった。友達Bは仕事の都合で欠席。私と友達Aは同じテーブルだった。

4人で遊ぶこともあれば、その中の誰かと遊ぶこともある。今もそう。

 

そしてサンクスバイトでは友達Aが呼ばれた。

 

その時初めて、彼女の中には序列があったんだと思った。

 

嫌いになったわけじゃないし、一緒に遊んでいる時思い出すわけでもない。

この記事を書いていて久々に思い出したぐらい。

 

手紙も沢山書いてあったし、友達だと思われていないわけじゃない。と思う。

でもその子が、「一番お世話になった人は誰だろう?」と考えた時、それは1人にしぼられた。

 

結婚式に呼ばれるのは嬉しい。

でもその中でも序列を感じてしまうことが苦しい。

 

こんなことなら、誰かを一番に思ってしまうような、誰かの一番の友達になりたいと思ってしまうような密な関わりを誰とも持ちたくないな、と最近は考える。

 

一番じゃなくても、大勢の友達の中の一人でもいい。いつもはそう思う。

でも何かの機会に、「この子の中には"一番"がいるんだな」と気づいてしまうと、途端に人間関係を保つのが嫌になる。

 

思い返すと、誰かとべったり探しがちな中学時代でさえ、「あの子と言えばつちや」「つちやと言えばあの子」という感覚の人はいなかった。

「2娘1(ニコイチ)」でつるむことがなかった。

いわゆる「相方」がいたことがなかった。

 

もちろん私の友達が悪いというわけではない。

つまり私に「誰かの一番の友達」になれるだけの魅力がないってことだと思う。

それがわかっているから苦しい。

 

べったりしていなくてもいいじゃないか、と普段は思っている。

でもふとした瞬間に、何かあったときに真っ先に私に話したいと思っている人がこの世にいないんだなと感じて寂しくなる。

それは多分、何かあったときに真っ先に報告される人がいるのに私はそれになれないという、比べたがりなだけなんだと思う。

「そういう人」がいるのに、私は「そういう人」になれない人。

 

選抜から外されたような気持ちになっていても仕方がない。

友人関係って多分そういうものではない。

 

こういう感情にとらわれない大人にこれからなりたい。

なれるかなあ。

どうやったら捨てられるだろう。